オルフ:世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」【聴いてみよう】Orff: Carmina burana

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オルフ:世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」【YouTube】

クリスティアン・マチェラル WDR交響楽団 全曲 各曲キャプチャー付き

Orff: Carmina burana クリスティアン・マチュラル Cristian Macelaru 2022年10月29日コンサートの模様です。1時間55秒の動画です。各楽章(曲)キャプチャーがついているので、勉強する際にはとても便利です。出典:YouTube カール・オルフ:カルミナ・ブラーナ|クリスティアン・マチェラル|WDR交響楽団|WDR放送合唱団 WDR Klassik KÖLNER PHILHARMONIE

サイモン・ラトル ベルリン・フィル 序奏 “O Fortuna”

オルフ:カルミナ・ブラーナ サイモンラトル ベルリン・フィル 2004年12月31日の演奏です。大晦日にこの曲を演奏するぅ? 2分25秒の動画です。
Orff: Carmina burana Berliner Philharmonike Simon Rattle 出典:YouTube Orff: Carmina burana / Rattle · Rundfunkchor Berlin · Berliner Philharmoniker

オルフ:世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」【名盤・おすすめ】

クリスティアン・ティーレマン ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団

オルフ:世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」 クリスティアン・ティーレマン ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団 1998年 Orff: Carmina burana Christian Thielemann Orchester der Deutschen Oper Berlin

ソプラノ:クリスティアーネ・エルツェ テノール:デイヴィッド・キューブラー バリトン:サイモン・キーンリーサイド ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団合唱団 出典:YouTube Orff: Carmina Burana / Fortuna Imperatrix Mundi – 1. “O Fortuna” ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団 – トピック Provided to YouTube by Universal Music Group

シャルル・デュトワ モントリオール交響楽団 😘

オルフ:世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」 シャルル・デュトワ モントリオール交響楽団 1996年
Orff: Carmina burana Charles Dutoit Orchestre Symphonique de Montreal
ソプラノ:ビヴァリー・ホック Beverly Hoch テノール:スタンフォード・オルセン Stanford Olsen
バス:マーク・オズワルド Mark Oswald

★序奏 全世界の支配者なる運命の女神(フォルトゥナ)
あまりに有名な冒頭は、ティンパニの一発どん! ホール感があり、銅鑼も決まっています。明るくて色彩的な音でで、金管が速いパッセージを吹き、いつもながらの煌めきサウンドでスタートします。冒頭のみを聴くのには派手で良いのですが、軽くて明るすぎかも。

中世時代設定で、自由で保障のある快適な社会ではなく、修道院という閉ざされた世界での隠微な営み。地獄の釜が開いてるような、絶対的な支配者がいて、身分制があって、不平等でずるくってエッチで病的で、モラハラなんて多分アタリマエの世界。勝手な妄想ですが、あはは~ これじゃ綺麗すぎではないでしょうか。まあ、ぽっかりあいた間合いが欲しい気がします。

★第1部 初春に芝生の上で 「春の愉しい面ざしが」「太陽は万物を整え治める」「見よ、今は楽しい」
華やかで軽やかで、見通しの良い合唱です。弾むリズムですが畳みかける気配はなし。爽やか。「踊り」では、打楽器のコンビネーションが面白く、リズミカル。お調子者が遊んでる~ 金管の明るさが喜ばしいです。「森は花咲き繁る」「小間物屋さん、色紅を下さい」「ここで輪を描いて回るもの」は、チャーミングな歌い方で、合唱とオケがマッチしています。庶民の暮らしぶりが楽しそう。「たとえこの世界がみな」は、祝祭的な華やかさが花開いています。

★第2部 酒場で 「胸のうちは、抑えようもない」独唱のマイクが少し遠く、速めのテンポで進みます。「昔は湖に住まっていた」は、テノールと合唱ですが、カウンターテナーの気持ちの悪さ(ごめんなさい)が、背筋が凍り付いてくる感じになって~。いよいよ、カルミナ・ブラーナの隠微な世界の扉が開いてきます。でもね~ 合唱が明るくて、あへっ。うっそー。和訳を引用させていただくと、昔は、私も湖水に住んでいた。昔は、私も美しい姿をしていた。私が以前、白鳥だった時には。なんとまあ、情けないこと。今は、真っ黒焦げにされちまって、ぐるぐる、また、ぐるぐると焼串持ちがまわしていく。今では、私を給仕が配っていくのだが、私を薪をすっかり焦がして、今では、角皿のうえにのせられ、飛び回ることもできない。ガチガチ咬み合う歯が見えるって世界なんですよね。豚じゃーないんですよ。白鳥を焼く!

「わしは僧院長さまだぞ」「酒場に私がいるときにゃ」とっても賑々しい曲で、ンチャチャ 同じリズムを刻みながら歌うのですが、このリズムを強調してません。闇の世界は、さらっと流すようです。もっとネチネチ、モチモチした粘りのリズムが欲しいところですが、うーん。第2部の酒場での光景が、ハイライトなのにねえ。もっと下町酒場の光景だと嬉しいのですが、なにを間違っているのやら、お上品ぶっとるわいという演奏です。

★第3部 愛の誘い 「愛神はどこもかしこも飛び回る」「昼間も夜も、何もかもが」「少女が立っていた」「私の胸をめぐっては」「もし若者が乙女と一緒に」「おいで、おいで、さあきておくれ」既に、第2部での演奏で、ほぼ勝負があったという感じです。嫌らしい赤ら顔のオジチャンではなく、テナーの声に鳥肌モードでした。

「天秤棒に心をかけて」「今こそ愉悦の季節」「とても、いとしいお方」ソプラノが聞こえてくるとほっとします。少年合唱が入ってくる「今こそ愉悦の季節」は、さすがに綺麗で聴き応えがありました。白い花とヘレナ「アヴェ、この上なく姿美しい女」

第2部が、モノ足らない気がします。歌詞や内容を追求しないで、CMにのせるには良いですね。こんな綺麗に流麗にまとめてくる内容ではないと思うんですけど、最初に聴くには良いかと思います。出典:YouTube Orff: Carmina Burana / Fortuna Imperatrix Mundi – “O Fortuna” モントリオール交響合唱団 – トピック Provided to YouTube by Universal Music Group

ヘルベルト・ブロムシュテット サンフランシスコ交響楽団 😘

オルフ:世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」 ヘルベルト・ブロムシュテット サンフランシスコ交響楽団 1990年
Orff: Carmina burana Herbert Blomstedt San Francisco Symphony
ソプラノ:リン・ドーソン  テノール:ジョン・ダニエッキ バリトン:ケヴィン・マクミラン

★序奏 全世界の支配者なる運命の女神(フォルトゥナ)

「おお、運命の女神よ」「運命の女神の与えた痛手を」
有名な「おお、運命の女神よ」は、録音状態が良いので、冒頭のティンパニーの一発どん!は、迫力満点だし、合唱の歌い方も、とてもガッツがある。録音状態は、極めて良い。いたって理知的でスマートな演奏。テンポも良い。切れも良い。タメもあって、充分にタメてから、フレーズを伸ばしている。弱音からの切り返しも、歯切れの良い金管のパッセージが続き、銅鑼も豪快に鳴っており、テンポアップして音量をあげて駆け抜けていく。最後は、スゴイ~伸び伸び~っ。
続く「運命の女神の与えた痛手を」も、落とすところは落として、その後、テンポを加速する。トランペットは、いかにも現代風でスマートで歯切れが良い。テンポの良さで高揚させられる。爽快そのもの。音色は明るい。

★第1部 芝生の上で

「春の愉しい面ざしが」「太陽は万物を整え治める」
木琴のフレーズに続いて、古風なグレゴリオ聖歌風の教会旋法で歌われる。ここの歌は、録音状態が遠いというか音量が低くて、聞き取りづらい。先の2つの楽章から、一気に小さな音量で、あらら~ ボリュームをあげにアンプに走る。神秘的で、一気に中世時代に突入という雰囲気になった。

「見よ、今や楽しい」「舞踏歌」
ブロムシュテット盤はテンポが良く、庶民的とはいえスマートに歌いあげているし、特に「舞踏歌」の舞曲 の冒頭の和音は、古風だけど単調ではないし、(小太鼓・ドン大太鼓) みみみみ みそれ~ のフレーズは、ヴァイオリンのフレーズも軽やかで速い。金管もまろやかで~ これはニクイ。

「森は光り輝き」「小間物屋さん、私に頬紅くださいな」
コーラスが可愛い。ホント、明るく爽やかに聞こえるし、ティンパニーの叩き方も楽しげに聞こえてくる。ブロムシュテット盤は、繊細で、微妙なニュアンスを感じさせる。テンポの切り替えも機敏だし、フレーズの歌わせ方が、ふくよかで~やっぱ巧いなあ。と感じる。弛緩しちゃう場面なのだが、退屈しないんだもん。

「円舞曲」「たとえこの世界がみな」
弱音の古風なワルツ風の楽曲とコーラス入りの楽曲で、強弱・テンポのメリハリがついてて、音色も明るく健康的だ。ボリューム感には欠けているのだけど、金管の音色が柔らかく明るい。細身だけど爽やか。ホント、何にも特にしてなさそう~なんだが、素朴なくせにスマートで、小気味良さがある。

★第2部 居酒屋

「胸のうちは、抑えようもなく」
う~ん。この第2部は、場面がかわって居酒屋なのだが・・・  ブロムシュテット盤では、居酒屋とは、ちょっとなあ~ 場面が違うような気がするのだ。 ちょっと録音が遠いことと、スマートにテンポアップしてて。まったりしてくれ~っ。

「激しい怒りを胸に秘め、私の心は苦しみでいっぱい。 私はまるで物質か、風に弄ばれる葉っぱ・・・」バリトンのケヴィン・マクミランさんの声だと思うのだが、う~ん、酔っぱらいのオッチャンには遠い。酔ってしまって、やけくそ気味で自虐的に歌う歌なのだが、ヤケッパチには、なってないんだよなあ。理性がありすぎ。飲み足らないでしょ。 学校の先生風に几帳面に聞こえて。う~ん、頭を抱えてしまった。

「昔は湖に住んでいた」
焼かれる白鳥さんの歌で・・・「昔は私も美しい姿で湖に住んでいた。かつて白鳥だった頃は。 なのになんと哀れなこと、今は焼かれて ただ真っ黒な姿になってしまった! 料理人は鉄串を回し、薪は私を強くあぶり、食卓係が私を酒宴に運ぶ。 皿の上に横たわり、飛ぶこともできない。ぎしぎし砕く歯が見える! ああ情けない、高い志もすっかり崩れて今はこの有様だ」と歌う。裏返った男の声って、とーっても変で、オカマっぽい。 白鳥の丸焼き? 他人の妻を寝取ったおじちゃんが、丸焼きだと思うのだが・・・  はあ。なんか雰囲気が出ないなあ。語彙をはっきり、気張って、力強く歌っているんだが。悲痛さは感じられるものの、悲哀がイマイチ。エッチさにも欠ける。あ~ 聴いているだけで苦しいっ。楷書体で歌っているのだが、う~ん。全然イメージに合わない。

「わしは院長さまだぞ」
「わしは院長さまだぞ」って、偉そうに言っているだが、若い声なんだなあ。どーみても、院長さまとは思えず、あまり恰幅がなさそうで、貧相なのだ。なーんだか、これもイメージにあわず。がっくし~ただ、合唱はリズミカルで、打楽器群も派手に頑張って鳴らしているようだ。

★第3部 愛の誘い

9曲あるのだが、この第3部は、とても気持ちよくナチュラルに聞こえる。ストーリー仕立てになっている楽曲が、穏やかに愛のフレーズを奏でている。「若者が乙女と一緒に」「おいで、おいで」と、周りが男女の恋愛をはやし立てているところは、ハハハ~なんとも軽快で、テンポアップしてて爽快である。特に、「季節は悦楽の時」「とても、いとしいお方」
「季節はまさに悦楽の時。乙女も若者も、一緒に喜ぼう! (彼女の誓いは僕を強気にさせるけど、拒否されたら もうがっくり)  (男は冬中忍耐し、春の空気に弾け飛ぶ) (あの娘の処女に翻弄されて、簡単に奈落へ落っこちる)  おいでお嬢さん、悦びと共に。 さあ早く、美しい人!もう死ぬほど君に恋いこがれてる! おお、すべてが光り輝いて乙女たちも皆、愛に燃えている。新しい新鮮な恋に狂い死にしそうだよ!」

この、ソプラノ独唱、バリトン独唱、合唱と少年合唱では、中年男性が少女を誘っているのだが、子どもの声が爽やか。ドラティ盤のように、少年合唱がオジチャン風情であったのとは雲泥の差。なんとも罪のない教会内のようなストイックさである。もう少し、とろり~っとしていても良いかも。通俗なアプローチでも良いんだけど。

★「ブランツィフロールとヘレナ」「アヴェ、この上なく姿美しい女」「めでたし、最高に優美な人よ、あなたは豪奢な宝石。ああ、徳そなえた処女よ、世界に満ち溢れる光よ、世界の薔薇よ! 美の化身、ブランツィフロールとヘレナよ!寛大なるヴィーナスに栄光あれ!」と歌われる。ここは、ブロムシュテット盤も圧巻。録音状態も良く、コーラスも神々しく、ティンパニー、大太鼓等の打楽器セクションも、おおらかに奏でており、堂々としたコラールである。

★「全世界の支配者なる運命の女神」

続いて、第1曲目と同じ「おお、運命の女神よ」に戻って締めくくりになる。このブロムシュテット盤の銅鑼は、ちょっと高音で、シャーン!と鳴り響く。序章と最終章と同じ曲である「おお、運命の女神よ」が歌われる。ブチャブンチャと小声でテンポが刻まれるなか、儀式のように、厳かに密やかに奏でられる。最後の伸びは、驚くばかりに長いのだが、盛り上がりまでの過程では、冒頭のようにはテンポアップせず、おとなしめに締めくくっている。

ブロムシュテット盤は、1部、3部は、これは、ホント上品で美しい。しかしながら、カルミナ・ブラーナと言えば、冒頭の「おお、運命の女神よ」と、第2部の居酒屋での場面で、飲んだくれのオジチャンや、丸焼きになった白鳥や、偉そうな院長に、焦点がいく。ここを聴きたいために、カルミナを聴いているようなモノなのだ。それが、イマイチ、ブロムシュテットさんには、似合わない。線が細いことと、独唱者の声がイマイチ合っていないこと。そして、やっぱ、ブロムシュテットさんは、下品で、やけくそにはなれないんだと思う。穏やかな菜食主義の指揮者が、う~ん。どーして、こんな楽曲を取り上げちゃったんでしょう。とても不思議だ。

出典:YouTube Orff: Carmina Burana – Fortuna Imperatrix Mundi – “O Fortuna” チャンネル:サンフランシスコ交響合唱団 – トピック Provided to YouTube by Universal Music Group

小沢征爾 ベルリン・フィル 🙂

オルフ 世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」小沢征爾 ベルリン・フィル 1988年
Orff: Carmina burana Seiji Ozawa Berliner Philharmoniker
ソプラノ:エディタ・グルベローヴァ Edita Gruberova テノール:ジョン・エイラー John Aler
バリトン:トーマス・ハンプソン Thomas Hampson 晋友会合唱団等

録音状態は悪くはないと思うのだが、なにせマイクが遠い。迫力がないし、おとなしいので面白くない。ライブ盤。 小澤指揮ではボストン響のものがあり、これは2回目の録音である。小澤さんのこの盤は、ベルリン・フィルと日本のアマ合唱団である晋友会との共演ということで、メチャ話題になった。もちろん日本人としては、注目の1枚なのだ。でも~ CDで聴いちゃうと、録音がなあ。ちょっとマイクが遠すぎて、迫力に欠けてしまうのだ。ライブ盤なので、もっと熱い演奏を期待していたんだけど。

★序奏 全世界の支配者なる運命の女神(フォルトゥナ)

「おお、運命の女神よ」「運命の女神の与えた痛手を」
この出だしは、まずまず良いのだが、最初にはあったタメが、「そそ ふぁふぁ そそ ふぁふぁ そそふぁ そ~らそふぁっ」と、何度も進むにつれて、ダンダンと速くなってしまう。2回目のドンっ!が鳴って、「そそ ふぁふぁ」と奏でると、もう超快速になっているんだよなあ。えっ いきなり、テンションあげすぎなんじゃー。弱音部は綺麗。確かに綺麗だが、不気味さがあるわけでも、重厚感があるわけでもなく、なーんか中途半端な感じが否めない。スピード感は適度に欲しいが、これはいかにも速いし、大太鼓、ティンパニーが、シャーン ジャーンと言う鳴り物系が、さっぱり響いて来ない。迫力が伝わって来ないのだ。特に、ドンっ。という響きが軽すぎ。軽すぎというか、マイクに入っていないという方が正しいかもしれない。いくら軽量級って言っても、これは、、、あんまりだ。う~ん。女神さま、空に飛んでいってしまい、厳かな怖い運命の神としては、いかにも迫力不足。もっと、ドンっと叩けよぉ。ホント、ドドン ジャーン。という、シャーンという響きの余韻にも欠けており、こりゃ、参った。ボリュームをあげて聴いてはみたのだが、打楽器の音が、ほとんど拾えていないのだ。なーんだ、最初から入ってないのか。かといって、合唱にマイクが焦点あっているかというと、そうでもなく遠いし、金管のトランペットの音も、なーんか、奥行きがないのである。

★第1部 芝生の上で

「春の愉しい面ざしが」「太陽は万物を整え治める」
パーカッション群の音は明瞭に聞こえるが、テンポが遅めなので、かったるく聞こえてしまうものの、神秘的で、この世が誕生した雰囲気って感じがする。「見よ、今や楽しい」「舞踏歌」は、小澤盤は、レガート気味に歌って、まったり、まろやか。舞踏歌は、おとなしくて地味。「みみみみ みそれみれど~」という、ジプシー風のような小節まわしが面白い曲なのだが、軽やかめで遅め。派手さには欠けてて。う~ん。「森は光り輝き」「小間物屋さん、私に頬紅くださいな」「円舞曲」「たとえこの世界がみな」コーラスは美しい。透明度があり、爽やかに聞こえる。

おちついた歌い方で、テンポがきちんとしてて~ う~ん。文句はないのだが、ちょっとテンポが一定すぎて面白くないかもしれない。上品で、几帳面すぎるかなあ。喜びに満ちあふれている感じは、良いし、明るくて良いんですけどね。まあ、こんな感じで、最後までは、ちょっと聴けない気がする。(いや、もちろん聴いたのだが、1つ1つ書いていく気分にならなかった。)綺麗だし、静謐感や清潔感という面では、すごく良いと感じる。でも~ なーんか、このアプローチは、カルミナ・ブラーナという楽曲とは違うような気がするのだ。まるで、格調の高い宗教音楽そのもので、世俗的なという面が出てない感じがする。

打楽器の出し方も、まるで日本の音楽のようで、無常感が漂う。音の出し方というか、間合いがなあ。う~ん。なーんか違う。日本人好みのアプローチのようで、オルフのカルミナ・ブラーナというより、日本の宗教音楽っぽい。どうも、オルフの他盤とは、相当に違ってて、その違いが、う~ん。日本人的って感じ。(巧くいえないのだが、お寺の鐘みたいな、声明をあげているみたいな感じに聞こえちゃう)ワタシの勝手な感じ方だが、日本の楽曲みたいな、雰囲気が漂っているのだ。おとなしいし、控えめだし、音が前に出てこないというか、どぎつく、突き詰めて行くタイプではなく、ドロドロっとした世俗感がないというか。どうも、情感の世界を描いた演奏ではないような気がする。

春めいて盛りを向かえて、男女の恋愛が、どうのこうのという世界観ではないのである。こんな感じだから、白鳥が焼かれてマックロになるって感じじゃーないですよねえ。西洋絵画で描かれている「レダと白鳥」のような、エッチな世界は、背景には置いていないという感じだ。まあ。ワタシが考えるに、このカルミナ・ブラーナで描かれている白鳥は、焼かれてマックロになるってことは、他の奥さんに手を出した、エッチをしちゃったと男の話なんだと思うんだよねえ。白鳥って、隠語なんだよねえ。(あくまでもワタシの考えなんだけど~)ワタシがイメージするのは、西洋絵画のモチーフとなった「レダと白鳥」なのだが、小澤盤は、その点は、ちょっと違っているような気がする。小澤さんの振っているカルミナ・ブラーナの世界では、白鳥は焼かれたって、真っ白で、まるで、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の神話の世界なんだよなあ。あまりにも美しすぎ~ 彼岸に飛翔しちゃうような 感じだ。最後の「全世界の支配者なる運命の女神」は、まあ、大きく演奏されているが、カルミナ・ブラーナの中間に位置する居酒屋が、世俗的カンタータという雰囲気がしないという感じかな。

出典:YouTube Orff: Carmina Burana / Fortuna Imperatrix Mundi – “O Fortuna” ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 – トピック Provided to YouTube by Universal Music Group

ジェームズ・レヴァイン シカゴ交響楽団

オルフ:世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」 ジェームズ・レヴァイン シカゴ交響楽団 1984年
Orff: Carmina burana James Levine Chicago Symphony Orchestra

ソプラノ:ジューン・アンダーソン テノール:フィリップ・クリーチ バリトン:ベルント・ヴァイクル
シカゴ交響合唱団 出典:YouTube Orff: Carmina Burana / Fortuna Imperatrix Mundi – “O Fortuna” シカゴ交響楽団 – トピック Provided to YouTube by Universal Music Group

リッカルド・シャイー ベルリン放送交響楽団 🥰

オルフ:世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」 リッカルド・シャイー ベルリン放送交響楽団 1983年 
Orff: Carmina Burana Riccardo Chailly Radio-Symphonie-Orchester Berlin

ソプラノ:シルヴィア・グリーンバーグ カウンターテノール:ジェイムズ・ボウマン バリトン:スティーヴン・ロバーツ 出典:YouTube Orff: Carmina Burana / Fortuna Imperatrix Mundi – O Fortuna / Fortune plango vulnera ベルリン放送合唱団 – トピック Provided to YouTube by Universal Music Group

リッカルド・ムーティ フィルハーモニア管弦楽団 🥰

オルフ:世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」 リッカルド・ムーティ フィルハーモニア管弦楽団 1979年
Orff: Carmina burana Riccardo Muti Philharmonia Orchestra of London
ソプラノ:アーリン・オジェー Arleen Auger テノール:ヨーン・ファン・ケステレン John van Kesteren
バリトン:ジョナサン・サマーズ Jonathan Summers フィルハーモニア合唱団、サウスエンド少年合唱団

録音状態は極めて良い。ティンパニーの迫力が凄い。鮮烈っ!幾分、高音域が派手になっているかもしれないが、切れ抜群。ちょっと人工的すぎる面もあるけど、これだけ劇的にやられちゃうと文句言えない。かなり長大な楽曲で、インデックスが詳細に区分されています。

★序奏 全世界の支配者なる運命の女神(フォルトゥナ)

「おお、運命の女神よ」「運命の女神の与えた痛手を」
冒頭、すげーっ打ち込みのティンパニーに驚く。鋭くて、硬くて、ダイナミック!
そのくせ透明度が高く、響き渡っている。もう冒頭の1音だけで、う~ん。これはやられたっ!冒頭のテンポは、硬めのゆっくり。いったん聞き取れないぐらいの弱音で歌うが、2度目の繰り返しになると、すごい音になってくる。ティンパニーの硬めのタン!大太鼓の響きのドン!この2つの響きがリズミカルに響く。続いて、タン ドン 銅鑼のシャーン!この3の響きが、すごすぎる。切れが抜群でシャープそのもの。録音状態も極めて良い。アナログ時代の名盤だとのことだが、今でも、すこぶる良い状態だと思う。これはいいっ。合唱部分も歯切れが良く、スリル感抜群。こりゃ~っ すげぇ。 いい盤を聴いた。どひゃーん。驚きの1枚。

この楽曲で、煽らない盤は嫌いだ。生ぬるいのがイチバン嫌だ。このムーティ盤は、スピードがあるし、切れ味抜群で、すぱーっと音が鳴っている。合唱の奥で鳴る大太鼓の響きも、 心地よくテンポを生んでいる。金管はストレートそのものだし、ぱっぱらぱぁーぱっ 合唱もスマートで、これは都会的な派手さだ。ひとことで言い表すと、悪魔的というよりは、伊達な~と言うべきだろうか。うん。これはダテな「おお、運命の女神よ」だ。劇的な驚きの1枚。まっ 結構、まともじゃーないと思うんだけどねえ。人工的な収録だとは思うが、とにかく 、ジャーンって鳴るインパクトは多いにあり、これを聴くと他盤が地味に感じるほど。 しっくりした盤を好みの方は、これは邪道だ~ この派手さには眉をしかめる人もいるかもしれないが、聴くと、一発で、にひひ~っ やりやがったな。と笑えてしまえるかもしれない。「運命の女神の与えた痛手を」は、聞き取れないほどの小さな音だが、神秘的に響く。

★第1部 芝生の上で

「春の愉しい面ざしが」「太陽は万物を整え治める」
鉄琴の響きで、古風なグレゴリオ聖歌風の歌が、しめやか~的に歌われる。バリトン独唱は、ドイツ語わからず・・・。パス。「見よ、今や楽しい」
コーラスとオケ 明るく軽やかに春の訪れを祝うような軽めの合唱。そ~ れ れみ~れ~! そっれみれ~ そっれみれ~ しどれ~っ。愉快な旋律で、ホルンの柔らかい音色が、軽やかに響いている。単純な旋律だけど、楽しい。コミカルで、リズム良く、すぐにフレーズが口ずさめる。金管のかわった音色の和音で、みーみーみー みそれみそれ~

「舞踏歌」
ど~ふぁ・み ら・そ~ (小太鼓)この風変わりな舞曲は、牧歌的で~私的には面白い。印象的で、単純なリズムで構成されている。どみそ~ (小太鼓・ドン大太鼓) みみみみ みそれ~ ちょっと擦れた弦の音で、合いの手の打楽器とのコンビネーションが面白く、かなりリズミカル。お調子者が、道ばたで踊っているのか、ピエロが曲芸をしているような、おどけた風情が出ている。テンポは速め。木管が、たららら~ん。そして、ティンパニーのリズムと、金管が吹くところは、楽しく、迫力があり、かなりお茶目だ。んじゃーじゃーじゃー じゃら~らーらーらーらぁ。

「森は光り輝き」「小間物屋さん、私に頬紅くださいな」
女性のコーラスが爽やかに歌う。フレーズも伸びやかだし、素直に聴ける。弱音なので、もう少しボリュームがあれば良かったかも。

「円舞曲」「たとえこの世界がみな」円舞曲は、ジプシー音楽って感じもする。タンバリンとかの打楽器が、ンジャンジャ・・・とテンポで鳴る。単純明瞭な円舞曲である。トランペットのファンファーレは 、すごく速い。合唱は、力強く~「たとえこの世界がみな」を歌う。短いコーラス部分ではあるが、充分なタメを作って、壮大な世界を奏でてくる。お~っ もうワールドになっている。怒濤の歓喜の歌を歌って、ハイ!っと締めくくる。あらら~

★第2部 居酒屋

「胸のうちは、抑えようもなく」
快速で、飛ばす~飛ばす~ おおっ 痛快なほど。激しい怒りを胸に秘め、私の心は苦しみでいっぱい。・・・と、胸のうちは、怒りで抑えようもないワケだから、テンポも速いよねえ。 で、歌の伴奏として、弦を初めとして大太鼓の打楽器が響き、テンポ良く仕上げている。金管も、声にぴたっと寄り添って、最後爆発的に終わる。これは痛快だ。

「昔は湖に住んでいた」
焼かれる白鳥さんの歌で・・・「昔は私も美しい姿で湖に住んでいた。かつて白鳥だった頃は。  なのになんと哀れなこと、今は焼かれて  ただ真っ黒な姿になってしまった! 料理人は鉄串を回し、薪は私を強くあぶり、食卓係が私を酒宴に運ぶ。皿の上に横たわり、飛ぶこともできない。ぎしぎし砕く歯が見える! ああ情けない、高い志もすっかり崩れて今はこの有様だ」と歌う。うはは~っ ちょっと声は遠いが、ボリュームを上げて聴くと、なんともブラックユーモアたっぷり。すごいスパイスが効いている。おっさんの裏声の甲高い声~ 気色の悪いこと。このうえない。この楽曲が好きだというと、悪趣味に思われるだろうが、細めの声だが、打楽器の響きと、とろろ~と木琴が鳴ったり。なんとも~情けない哀れな声には、思わず苦笑してしまう。

「わしは院長さまだぞ」「居酒屋にいるときにゃ」
えへへ~ほぉ~ えへへ~ ほぉ~ いきなり冒頭から威張ってるやん。超派手に、にぎにぎしくシンバルが鳴る。打楽器が総結集して、ンチャチャチャチャチャチャチャチャ・・・ ン~パパ ン~パパ ン~パパ ン~パパ「我はのらくら者の大修道院長様であるぞ。我の助言はどんちゃん騒ぎに、好意はダイスの神デシウスにある! 夜明け、酒場に迷ってきた子羊は、夕方にゃ身ぐるみ剥がされ外におん出されてこう叫ぶ。なんてこった!なぜ運命は俺をこんな目に遭わすのか? 人生から楽しみが完全に持ってかれちまった!」声とオケのバランスが、ちょっと気になるが、バックの威勢の良いこと。ハハっ!と合いの手の合唱も良い。「居酒屋にいるときにゃ」は、この単純だけど、春の祭典風の原始的なリズムが、すごく印象的。ンチャ ンチャ ンチャ・・・ 金管とパーカッションが絶妙で、小太鼓の刻む音が軽快だし、チューバかな。んちゃ~ んちゃ~と刻む響きも良く。う~ん 良いわあ。適度に迫力があり、適度に野蛮で下品で、適度にバカバカしくて・・・金管の明るい単調なフレーズが鳴り響き、ズンチャーズンチャー 煽って大騒ぎとなり賑々しく終わる。

★第3部 愛の誘い

前の曲が、ド派手に展開したので、この第3部は、さすがに眠気を誘ってしまう。「アモルはそこら中を飛び回る」は、フルートがパンの笛に聞こえて~ 神さまというより妖精のごとく。ふわふわふわ~ と幻想的に奏でられる。「昼と夜と全てのあらゆるものが」えっ あの白鳥が蘇ったのか。と思うほど、オッサンの裏声が聞こえてくる。「昼も夜も全てのあらゆるものが私に逆らう。あのひととの会話は私を悲嘆にくれさせ、私はため息ばかり。・・・」と泣き言ばかり並べる。
「少女が立っていた」ソプラノの独唱「私の胸をめぐっては」「もしも若者と若い娘が」「来て、来て、来ておくれ!」バリトンとコーラスだが、なんかブンチャッチャ風で、子どもの声が、内面の声のような役割だと思うのだが、恋愛で頭がいっぱいの男をせかしているような~ 煽り立てているように聞こえる。リズミカルで、アハアハアハ・・・。という声が諧謔的な笑いにも聞こえて。ケッタイな感じがする。

「天秤棒に心をかけて」「季節は悦楽の時」「とても、いとしいお方」
ソプラノの声が聞こえてくると、今までの直截的な愛を歌う歌が、浄化されて~ 許すわ~という気分になるから不思議だ。 悦楽の時ねえ。これは、たまた賑やかに展開する。まあノー天気な。と思うほど。リズミカルに、おほほ~っ。とバリトンが声を出すと、おっさんがHを考えているようで、下品に聞こえるのだが、これら通俗的な考えは、次の「白い花とヘレナ」で、昇華される。う~ん。このストーリー展開には、相当な無理がある。(笑)

「ブランツィフロールとヘレナ」「アヴェ、この上なく姿美しい女」
「めでたし、最高に優美な人よ、あなたは豪奢な宝石。ああ、徳そなえた処女よ、世界に満ち溢れる光よ、世界の薔薇よ! 美の化身、ブランツィフロールとヘレナよ!寛大なるヴィーナスに栄光あれ!」と歌われる。ムーティ盤だけでなく、いずれの盤でも、ここは、堂々として圧巻である。ムーティ盤は、録音が良いので、かなりの迫力があり、タメも充分で、充分な音量もある。堂々として、今までのおぞましい?世界が一掃される。 ホント、一掃されるに充分な圧倒的なパワーで、まるでゼウス神が登場したかのようだ。 大太鼓の響きが、全宇宙を支配下に置いたような雰囲気で、まろやかに合唱が、「美の化身、ブランツィフロールとヘレナよ!寛大なるヴィーナスに栄光あれ!」と美を賛歌する。でも~ この後、最初の振り出しに戻る。全世界の支配者なる運命の女神(フォルトゥナ)「おお、運命の女神よ」が、巡ってくるのだ。

おお~ なんと。恐ろしい。ティンパニーが打ち鳴らされ、最後の審判のように運命の時がやってきたかのように、厳かに叩かれる。「運命の女神よ、貴女は月の如く満ちたり欠けたり、常に定まらない。人生も同じこと、確かなものは何もなく、運命に弄ばれ貧乏も権力も氷のように無に帰する。恐るべき空虚な運命よ、おまえは車輪の如く回ってゆく。信頼能わず、隠れたら現れ、健康と徳を授けたらすぐに欲情と背反をよこす。我らは常に憂悶しながら、たえず恐れおののく。さあ運を掴んだ者も投げ落とされた者も、私と共に運命に泣こう!」あーあっ あれほど生を、性を謳歌して、ついには、ヴィーナスを賛歌していたのに。
また序奏に戻り、確かなモノは何もない。運命に弄ばれると歌わねばならぬとは・・・。う~ん。

ムーティ盤は、ホント痛快である。この輪廻のような翻弄される運命を、まるで、タロットカードで、占っているかのように演奏している。ブロムシュテット盤は、バカ騒ぎになるほどまでに至らず、どこまでも理知的だった。ヨッフム盤は、野卑あふれるお下品さで、田舎臭く、スケベさ丸出し風で皮肉を感じさせた。それに、昔からの名盤と言われている。若い人のバカ騒ぎ風で、パワフルで明るい。おお~やっとるな。という感じで、若い性を歌い上げる。これなら聴いている方も、手をたたいて応援ができる。楽しむところは楽しむ。さほど深刻にならず歌いきる。という雰囲気がする。これは、これで割り切りがあって痛快極まりない。これも一つの考えである。録音も良く、強弱の落差が大きい。テンポはゆったりめであるが、明快で愉快で痛快である。 序奏部と最後だけって感じもするが~ 序奏だけでも聴き応え充分で、かなり満足度が高いと思う。

出典:YouTube Carmina Burana, Pt. 1 “Fortuna Imperatrix Mundi”: O Fortuna リッカルド・ムーティ – トピック Provided to YouTube by Warner Classics

アンタル・ドラティ ロイヤル・フィル 😘

オルフ 世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」 アンタル・ドラティ ロイヤル・フィル 1976年
Orff: Carmina burana Antal Dorati Royal Philharmonic Orchestra
ソプラノ:ノーマ・バロウズ  テノール:ルイ・デヴォー バリトン:ジョン・シャーリー=カーク
ブライトン・フェスティヴァル合唱団 Brighton Festival Chorus、サウスエンド少年聖歌隊

録音状態は良い。奥行きが良く広がっておりトランペットの音が、すわーっと広がってくる。第2部の佳境部分は迫力あり。

★序奏 全世界の支配者なる運命の女神(フォルトゥナ)
「おお、運命の女神よ」「運命の女神の与えた痛手を」テンポはゆったりめ。堂々としたティンパニーの叩き方だが、かなり、おっとり気味に感じる。勢いやスピーディさには欠けている。その後、歌唱が入ってきたところで弱音になり、ひとしきり歌うのだが、大太鼓の不気味な響きと、銅鑼のシャーンという音が響き渡る。

録音状態が、イマイチで、ちょっとこもりぎみなのが残念だな~と思っていたのだが、1回目より2回目の繰り返しになると、なんだか視界が一気に広がったように奥行き感が出てくる。こもり気味だと思ったのは、ティンパニーの音なのだ。間の抜けたボンボンという響きで~ えっ? でも、長いなかで、ずーっと変わらず、このボンボンという間の抜けた音が入ってくるのだが、これが、なんとも聴いているうちに、テンションのあがり、ぐわーっと盛り上がるなかで、無常感的な響きに思えてくるのだから、あら、不思議。歌唱が入ってきても、歯切れ良く歌ってくれないと、独特のスリル感あふれるリズムが生きてこないと思っていたが、いやいや、トランペットの音の奥行き感は良い。

ただ~ 男性合唱の声質が、なんとも明るくて~ これで良いのかなあ。いや違うよねえ。という感じだ。こりゃ~いかんともしがたい問題なのだと思うけど。英語感のたっぷり、明るめの声で、おおらか。まっ ドラティ盤は、ドライで、切れ味・野性味たっぷりに演奏してくれることを期待していたのだが、熱い。熱いことは熱い。ギアチェンジの巧さは、ピカイチで、ぐっ。とアクセルを踏んでスピード感がある。

★第1部 芝生の上で「春の愉しい面ざしが」
教会旋法なのかな~ ぱっと聴いただけではわからないのだが、古風な歌唱。弱音で神秘的な雰囲気が漂うが、先の2曲が、派手だっただけに眠ってしまいそう。「太陽は万物を整え治める」バリトン独唱 ドイツ語わからず。印象に残らなかった。「見よ、今や楽しい」コーラスとオケ 春の到来を喜ぶ歌で、ここはかなり明るく元気で、音量も大きくなるのだが、う~ん。ドラティさんに、いつもの切れがないので、テンポがゆったり。まったりしすぎて、縁側で昼寝していた猫がアクビしているみたいに聞こえてしまう。う~ん。なんともぬるま湯的で、私的にはがっくし~

「舞踏歌」
この風変わりな舞曲は、牧歌的で~私的には面白い。どみそ~ (小太鼓・ドン大太鼓) みみみみ みそれ~ ちょっと擦れた弦の音で、合いの手の打楽器とのコンビネーションが面白く、かなりリズミカル。おどけた風情が出ている。あまりテンポは速くないのだが、この同じフレーズを金管で吹くところは、まずまず迫力があり、かなり諧謔的。1回目はチューバだと思う。2回目はトランペットかな?

「森は光り輝き」「小間物屋さん、私に頬紅くださいな」コーラス入り 明るく爽やかに聞こえるのだが、歌詞をみると~ 「美しくなって彼をものに  しなくっちゃ」という言葉だったりするので、あらま~と驚かされる。「円舞曲」「たとえこの世界がみな」タンバリンとかの打楽器、弦が良く聞こえるし、トランペットのファンファーレは通っているが、あまり爆発的ではない。わりとおとなしくコーラスが歓喜の歌を歌って、ハイ!って言って終わる。

★第2部 居酒屋
「胸のうちは、抑えようもなく」

酔っぱらったおじちゃんが、「激しい怒りを胸に秘め、私の心は苦しみでいっぱい。 私はまるで物質か、風に弄ばれる葉っぱ。人生を投げ、水夫なしの船のように、風に運ばれる鳥のように時を漂うのさ。私を縛らないで!嘆かないで! ご立派な方々は重荷、でも悦びは甘い蜂蜜よりも素敵。ヴィーナスのご命令なら労苦も楽。若者の前途を邪魔し、悪徳につなぎ有徳を忘れ、魂が死んでも皮膚にはまだ未練を残す・・・人生なんてそんなもの」って、居酒屋で歌っているのだが。う~ん。あまり酔っぱらっておらず、元気じゃん。まだ素面だろうって感じなのだ。あまりマジメに歌っていただくと、面白くないんだが~ 

「昔は湖に住んでいた」
焼かれる白鳥さんの歌で・・・「昔は私も美しい姿で湖に住んでいた。かつて白鳥だった頃は。 なのになんと哀れなこと、今は焼かれてただ真っ黒な姿になってしまった! 料理人は鉄串を回し、薪は私を強くあぶり、食卓係が私を酒宴に運ぶ。皿の上に横たわり、飛ぶこともできない。ぎしぎし砕く歯が見える!ああ情けない、高い志もすっかり崩れて今はこの有様だ」と歌う。

白鳥の丸焼き? えっ。うっそーと思ったのだが、ホント白鳥らしい。 ニワトリでも、鴨でもなく、白鳥というところがミソ。西洋絵画において「レダと白鳥」という有名な寓意がある。
女性の裸婦像と白鳥という、なんともケッタイな、奇妙な組み合わせで描かれているのだが、これには含みがあって・・・男女の性愛を描けない中世、ギリシア神話の神さま「ゼウス」が白鳥に変身して 、スパルタ王の奥さんである「レダ」を誘惑したというエピソードを、ベースにして描かれたモノ。

つまり、この裸婦は、夫以外の男性とエッチで、子どもが出来ちゃった~という関係を描いたモノだ。たまに、裸婦の足元に、卵や、子ども、卵の殻から出てきた子どもの姿が描かれたりしている。ふーむ。これらのことを考えてみると、この焼かれた白鳥は、誰のことを意味するか?まさか、神ゼウスではないだろう~。ってことは、他人の妻を寝取ったおじちゃんが、丸焼きなのだ。 えーっ。そういう意味なのかあ。で、このドラティ盤での白鳥の役は、テノールのルイ・デヴォーさん。男の甲高い裏声というのが、一瞬、おばちゃんの裏声風に聞こえる。これには苦笑い。まあ自業自得だねえ~と思いつつ。・・・このありさまだ。と自虐的に悲しげに歌うさまには、複雑な心境になっちゃう。

「わしは院長さまだぞ」
超派手で、喧しいぐらいにシンバルが鳴る。打楽器が総結集して、歌の間に、ンチャチャチャチャチャチャチャチャ・・・ ン~パパ ン~パパ ン~パパ ン~パパ 「我はのらくら者の大修道院長様であるぞ。我の助言はどんちゃん騒ぎに、好意はダイスの神デシウスにある! 夜明け、酒場に迷ってきた子羊は、夕方にゃ身ぐるみ剥がされ外におん出されてこう叫ぶ。なんてこった!なぜ運命は俺をこんな目に遭わすのか? 人生から楽しみが完全に持ってかれちまった!」

「居酒屋にいるときにゃ」
当初は眠いテンポで遅かったドラティ盤も、この楽曲と、先の「わしは院長さまだぞ」は、相当派手に鳴っている。歯切れ良く、野蛮に、卑猥に鳴ってくれており、大きな変貌をしている。ンジャンジャとテンポを刻んでいるところは、「春の祭典」なみ。粗野で荒っぽいほどに、生き返っている。これはスゴイ。録音状態も生き返ったようだ。迫力あり。眠っていた獅子が起きあがって、いきなり咆吼を始めたようで、度肝を抜かれた。

★第3部 愛の誘い
9曲あるのだが、この第3部は、自然で健康的に聞こえる。特に、「季節は悦楽の時」「とても、いとしいお方」

「季節はまさに悦楽の時。乙女も若者も、一緒に喜ぼう! (彼女の誓いは僕を強気にさせるけど、拒否されたら もうがっくり)  (男は冬中忍耐し、春の空気に弾け飛ぶ) (あの娘の処女に翻弄されて、簡単に奈落へ落っこちる)  おいでお嬢さん、悦びと共に。 さあ早く、美しい人!もう死ぬほど君に恋いこがれてる! おお、すべてが光り輝いて乙女たちも皆、愛に燃えている。新しい新鮮な恋に狂い死にしそうだよ!」これは、ソプラノ独唱、バリトン独唱、合唱と少年合唱である。子どもの声が、男の独り言(歌詞の括弧書きの部分)を、煽っているのだが、それが面白い。ドラティ盤は、少年合唱の声が、おっさん風で・・・ あれまあ。将来に憂いが見えそうなのだが。これが皮肉っぽく聞こえて。笑える。白鳥の丸焼きの羽目にならぬよう~祈りたい気分。ソプラノの声の高いヴィブラートが、すご~い。透き通るように録音されてて圧巻。

★「ブランツィフロールとヘレナ」「アヴェ、この上なく姿美しい女」
「めでたし、最高に優美な人よ、あなたは豪奢な宝石。ああ、徳そなえた処女よ、世界に満ち溢れる光よ、世界の薔薇よ! 美の化身、ブランツィフロールとヘレナよ!寛大なるヴィーナスに栄光あれ!」と歌われる。ここは、堂々として圧巻である。もう少しホールトーンが欲しい気分だが、これは充分に伸びがあり、神々しく響いている。

★「全世界の支配者なる運命の女神」
最後に、第1曲目と同じ「おお、運命の女神よ」に戻って締めくくりになる。序章と最終章と同じ曲が流れるのだが、これ。元に戻って、またまた、グルグル運命は回っているで~という意味を示している。う~ん。含蓄あり。ドラティ盤は、この最後「おお、運命の女神よ」の部分は、寛大なるヴィーナスに栄光あれ!と歌われた先の天国的な楽章を引き継ぎ、ややゆったりめのテンポ設定のようだ。冒頭の「おお、運命の女神よ」を聴いた時は、テンポが遅めで、正直、のろいと思った。なんと、かったるい~ 遅いなあ。と。で、確かに第1部は、弛緩してしまう。でも、2部、3部と聞いて、ヴィーナスを讃えた後、元に戻ってくる時には、このテンポで充分なのかもしれない。でも・・・やっぱ、鋭いリズム感が欲しい。2部の居酒屋はよかったけど、1部が・・・イマイチだったのだ。やっぱ弛緩しちゃうかなあ。

冒頭と最後とのテンポ設定は、あまり変えていないようだ。きっちり縦線が合ってて、ビシッと決まっている。で、 含蓄ある意味合いを知った後で、この最後を聴くと、また始まることの恐ろしさを感じ、戦慄させられる。永遠に続くリピートのようで、、、空恐ろしい。CMとか、バラエティ番組のバックに流れてており、自然と耳が馴染んではいるが、ドラティ盤で聴くと、背中が、ビシッと、引き締まってくるような恐ろしい気分に。 このオルフの歌の意味を知ってしまうと、今の時代も歌同様の場面が多いんだろうと、人間って、いつの時代も変わらないのか~と、ガックリしてしまう。あまり、こんな恐ろしい曲を馴染みにはしたくないな~というのが、ホンネである。

出典:YouTube Orff: Carmina Burana / Fortuna Imperatrix Mundi – “O Fortuna” ブライトン・フェスティヴァル合唱団 – トピック Provided to YouTube by Universal Music Group

アンドレ・プレヴィン ロンドン交響楽団 😘

オルフ:世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」 アンドレ・プレヴィン ロンドン交響楽団 1974年
Orff: Carmina burana Andre Previn London Symphony Orchestra Remastered 1997
ソプラノ:シーラ・アームストロング  テノール:ジェラルド・イングリッシュ バリトン:トーマス・アレン

プレヴィンさんの旧録にあたります。後年1993年、ウィーン・フィル(ライブ)との演奏があります。1974年録音のロンドン響の演奏は、1997年にリマスタリングされており、独唱・コーラスが綺麗に聞こえます。

★序奏 全世界の支配者なる運命の女神(フォルトゥナ)
「おお、運命の女神よ」「運命の女神の与えた痛手を」
ティンパニーの一撃は大きい。コーラスの音も良く入っているが、全体的なホールトーンや透明度は、まずまず。といったところ。テンポは遅め。かなり遅めで、えっ。とはぐらかされるほど遅い。一音一音区切って、語尾に「っ」が聞こえる。 コーラス部分の声が、リアルだ。弱音部分では、テンポが遅いので迫力が無い気がしたのだが、いやいやなかなか。たぷりの重量さで歌いあげてくる。ドソミソ ドソミソ・・・的な繰り返しのバックの打楽器の音が、控えめで、声のメリハリ感があることと、バックの音が大きく入ってくるので、文句はない。

スピードは、ほとんど、あがらない し、このテンポ設定は異質なのだが、その代わりに重厚感がたっぷりで、そら恐ろしい、デーモニッシュ(悪魔的)さが、かなり出てくる。人の声で勝負ってところだろうか。結構、おどろおどろしさが出ている。テンポはあげないのだが、「ん たららった たららった・・・」のリズムの刻み方は、硬いもののメリハリがあって、細切れになった声と、金管の音が良く 入っている。特に、小太鼓の音が、わっ。指揮者の横にいるんじゃーっと思うほど近い。(えっ この曲に小太鼓あったっけ?)まっ 空耳ではないとは思うが~ とにかく、ティンパニーと、打楽器が大活躍で、いつの間にかテンポが変わって、リズムのよさに、のせられる。大太鼓の音より、シャンシャンした音が入ってくるのだが、最後、テンポをあげており、空中分解しないのかな~と思うほど、ひやっとしそうになるほど音がばらけている。まあ~このテンポ設定には驚き。

★第1部 芝生の上で
「春の愉しい面ざしが」「太陽は万物を整え治める」音量は適度にあり、古風な歌い回しで、いっきに中世時代にタイムトリップした気分にさせてくれる。この歌の声が良く、教会で歌われているのかと、錯覚するほどの雰囲気がある。教会での録音ではない(録音場所:キングスウェイ・ホール)のだが、声の質があっているように思える。

「見よ、今や楽しい」カーンと鐘が鳴って、一気呵成に走り出す快速バージョンの録音と比べると、う~ん、のらないなぁ。と思ってしまうほど、スピードがない。あれれ~っ もっとスピードをあげてよ。と感じてしまった。男性コーラスの声は大きく入っている。大きすぎるぐらい。「そっれみれし~ そっれみれし~ しどれ~っ」さほどコミカルには歌わない。上品に丁寧に歌われている。冒頭から透明度を上げて欲しかったなあ。ここはダイレクトに録音が入ってきている。「運命の神よ」の方が、録音バランスが悪いのかなあ。 冒頭より、この合唱フレーズが入ってくるシーンで、耳がぴくりとするとは、意外や意外である。

「舞踏歌」
「どみそ~ (小太鼓・ドン大太鼓) みみみみ みそれ~」 打楽器のコンビネーションが面白く、かなりリズミカル。おどけた風情が出ている。みーみーみー みそれみそれ~ このリズムは、ハハハ・・・ 木管と打楽器の掛け合いが面白い。ぶっとい金管の音も、すごい。テンポは速め。木管が、たららら~ん。そして、ティンパニーのリズムと、金管が吹くところは、楽しく、迫力があり、かなりお茶目だ。「んじゃーじゃーじゃー じゃら~らーらーらーら」畳みかけて、破天荒気味に響いているが、テンポがゆったりめであるため、ちょと迫力に欠ける。ボリュームは、たっぷりあるのに・・・。

「森は光り輝き」「小間物屋さん、私に頬紅くださいな」「円舞曲」「たとえこの世界がみな」
現代風にも聞こえるコーラスで、上品で、ハミングが入っててムードたっぷり。弦の響きがちょっと擦れていることと、ティンパニーの叩き方だが、おっとり気味に感じる。いや~ 他の盤が、おそらく派手気味なのだろう。円舞曲もテンポが遅めなので、煽られないものの民族舞踊の哀愁が感じられ雰囲気がある。弦(マンドリン?)が甘めの導入部を弾き、タンバリンなどの打楽器が、「ンジャンジャ・・・」、続いてトランペットのファンファーレが鳴り響く。ここは、スピードこそないが、腰の据わった堂々としたコーラスとなっている。ティンパニーと大太鼓、小太鼓が一斉に鳴り響き、「たとえこの世界がみな」を歌い、第一部を終わる。

★第2部 居酒屋
「胸のうちは、抑えようもなく」弦が軽快にリズムを刻み、オケの音が生き返ったように、軽快に活き活きと鳴り出す。声楽部分の音もよく入っているので、豊かな声量で耳に届く。 コーラスのバックのオケも、なかなかに迫力あり。風変わりな合いの手の金管が特に面白い。大太鼓の音。これは良いっ。私の心は苦しみでいっぱい。と、胸のうちは、怒りで抑えようもないらしいが。よく歌っている。(笑)タメも充分で、このテンポの急激な変化は、痛快で大変面白い。

「昔は湖に住んでいた」
第一声が・・・「お~いらぁ~っ」と聞こえる。声に至るまでのオーボエの音が、メチャ笑える。この声とメチャ、マッチングして、オーボエの音と人の声と瓜二つなのだ。合いの手の「くにゃっ・・・」となる打楽器にも笑わされるし・・・ 大笑い。テンポは遅い。遅いが面白い。焼かれる白鳥さんの歌で・・・「昔は私も美しい姿で湖に住んでいた。かつて白鳥だった頃は。  なのになんと哀れなこと、今は焼かれて  ただ真っ黒な姿になってしまった! 料理人は鉄串を回し、薪は私を強くあぶり、食卓係が私を酒宴に運ぶ。皿の上に横たわり、飛ぶこともできない。ぎしぎし砕く歯が見える! ああ情けない、高い志もすっかり崩れて今はこの有様だ」と歌う。

ムーティ盤でも大笑いしてしまったのだが、このプレヴィン盤も負けず劣らず。芸達者で、まるで、オカマやん。おっさんの裏声の甲高い声~ 気色の悪いこと、このうえないが、笑えてしまう。涙目になって笑える。 歌い方も、すごく、まったりして~ 悲哀というより、アホさ加減が、めにみえてくるようで・・・この歌っているシーンを、ビジュアルで見たかった。コミカルに、艶のある声で歌い出す。ここの発音は良く聞こえるので、口伝えで覚えられそう。打楽器が総結集して、賑々しい。「ン~パパ ン~パパ ン~パパ ン~パパ」 ここの「パパっ」て、コーラスが入っているだねえ。

「我はのらくら者の大修道院長様であるぞ。我の助言はどんちゃん騒ぎに、好意はダイスの神デシウスにある! 夜明け、酒場に迷ってきた子羊は、夕方にゃ身ぐるみ剥がされ外におん出されてこう叫ぶ。なんてこった!なぜ運命は俺をこんな目に遭わすのか? 人生から楽しみが完全に持ってかれちまった!」「居酒屋にいるときにゃ」は、単純だけど、春の祭典風の原始的なリズムが、すごく印象的。ンチャ ンチャ ンチャ・・・コーラスとオケのバランスが良い。金管とパーカッションが絶妙で、小太鼓の刻む音が軽快だし、チューバかな。「んちゃ~ んちゃ~」と刻む響きも良い。 金管の明るい単調なフレーズが鳴り響き、最後には、スピードをちょっとあげて、賑々しく終わる。 この第2部でのプレヴィン盤の演奏は、ちょっとオーバーな演出だが、とても面白い。面白いという表現が悪ければ、なかなか聴かせてくれる~ ブラックユーモア要素たっぷりだ。通俗的と言えば、このうえもなく通俗的だが・・・ これが、この楽曲のミソなのである。

★第3部 愛の誘い
第2部は、関西のお笑い系だとすると、この第3部は、さすがに、しんみり~「アモルはそこら中を飛び回る」は、妖精のごとくフワフワした導入部になっている。少年合唱団の声が、前2部の、トコトン、コテコテに野卑あふれていた世界を、みごとに洗い流してくれる。

「昼と夜と全てのあらゆるものが」
あの白鳥のオカマのオジチャンの声が出てくる。少年合唱の声が、俗世を洗い流してくれるのだが、それでも、おどろおどろしくバリトンが歌う。 もう死ぬほど君に恋いこがれてる!と言われても・・・悲しくなってくる。子どもの声が、爽やかに慰め、この世を諫めて諭しているように感じられる。

★「ブランツィフロールとヘレナ」「アヴェ、この上なく姿美しい女」
「めでたし、最高に優美な人よ、あなたは豪奢な宝石・・・」と優雅に歌いあげる。華麗に、派手には歌いあげていない。結構、素朴な感じがする。

★「全世界の支配者なる運命の女神」
「おお、運命の女神よ」に戻ってくるのだが、テンポは、冒頭と同じで遅め。俗世から、いっきに暗黒の世界に戻ったような状態で えっ? う~ん。ティンパニーと大太鼓が鳴り出すが、そこでも、暗黒の世界に引きずり込まれ、俗世に戻れないような気分になる。プレヴィン盤では、ぐるぐる世界が巡るというのではなく、暗黒ダークサイドで、終わりだぜ。と言われているような気がしてしまった。ムーティ盤は、痛快に終わっているが、いや~プレヴィン盤は、ここでラストという終末感が漂う。う~ん。どうしてなんだろう。

「ブランツィフロールとヘレナ」「アヴェ、この上なく姿美しい女」の歌いあげが足らなかったから。そう感じるのかもしれない。で、プレヴィン盤では、「おお、運命の女神よ」のテンポは遅めだが、コーラスが、きれいに録音されているので、これはコーラスを勉強する人には良いと思う。ホント、今時このテンポでは遅い。とは思う。煽ったような快速バージョンではない。しかし、腰があって上品なくせに、まことにバカバカしく歌いあげている。この絶妙なバランスが凄いと思う。特に2部が絶品で~ プレヴィン盤は、お笑い系にも徹底しており、自在に変化するところが、痛快でマジ凄いと思う。

出典:YouTube Carmina Burana アンドレ・プレヴィン – トピック Provided to YouTube by Warner Classics

オイゲン・ヨッフム ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団

オルフ:世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」 オイゲン・ヨッフム ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団 1967年
Orff: Carmina burana Eugen Jochum Orchester der Deutschen Oper Berlin

ソプラノ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ テノール:ゲルハルト・シュトルツェ バリトン:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団合唱団、シェーネベルク少年合唱団 出典:YouTube Orff: Carmina Burana / Fortuna Imperatrix Mundi – I. O Fortuna ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団 – トピック Provided to YouTube by Universal Music Group

ヘルベルト・ケーゲル ライプツィヒ放送交響楽団 

オルフ:世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」 ヘルベルト・ケーゲル ライプツィヒ放送交響楽団 1960年
Orff: Carmina burana Herbert Kegel Rundfunk-Sinfonieorchester Leipzig

ソプラノ:ユッタ・ヴルピウス テノール:ハンス=ヨアヒム・ロッチュ バリトン:クルト・リーム バス:クルト・ヒューベンタール ライプツィヒ放送合唱団ほか

出典:YouTube Carmina Burana: Fortuna imperatrix mundi – “O Fortuna” ライプツィヒ放送合唱団 – トピック
Provided to YouTube by Kontor New Media

オルフ:世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」【解説】

カール・オルフは、1895年ドイツ生まれの作曲家というか研究者でしょうか。主に、カンタータ-や音楽劇を中心に作曲しています。作曲家自身は、意外と最近の方なのです。カルミナ・ブラーナ(ラテン語: Carmina Burana)は、19世紀初頭、バイエルンの修道院で発見された詩歌集を元に、オルフが作曲した舞台形式によるお酒、男女の睦み合い等をテーマにした世俗的な歌曲です。

修道院で、まあ、こんな破廉恥な写本が出てきたものだと思っちゃいますが、オルフは、この写本のなかから24篇を選んで曲をつけています。「初春に」「酒場で」「愛の誘い」の三部になっており、序とエピローグがついています。1936年に完成し、翌年にフランクフルト歌劇場で初演され有名になりました。

混声合唱、少年合唱、ソプラノ・テノール・バリトンのソリスト、大規模なオーケストラという大きな編成で、約一時間。TVやCM等でも、冒頭の「おお、運命の女神よ(合唱)」が取り上げられているので、一度は、耳にされていることと思います。最初の部分を聴くだけで~ 全世界の支配者なる運命の女神に、とりこになります。でも、この美女はくせ者です。序奏部分だけ聴いても良いけれど、なかなかにエログロの世界で、地に落ちたような闇があります。

↑ ゼーバルト・ベーハムの版画です。Sebald Beham, Fortuna 「カルミナ・ブラーナ」の冒頭 全世界の支配者なる運命の女神(フォルトゥナ) “O Fortuna” が登場しますが、このフォルトゥナ(Fortuna)は、ローマ神話に伝えられる運命の女神のことです。

運命を操るための舵を携え、運命が定まらないことを象徴する不安定な球体に乗り、幸運の逃げやすさを象徴する羽根の生えた靴を履き、幸福が満ちることのないことを象徴する底の抜けた壺を持っています。(なんてこったい 満たしてくれる女神じゃーないの?ってワケです)で、タロットカードの運命の輪は、フォルトゥーナがモデルとされています。「カルミナ・ブラーナ」の詳細は、Wikipedia をご参照ください。

また、CDジャケットにボッシュ(ヒエロニムス・ボス Hieronymus Bosch)の悦楽の園を掲載しているのがありましたが、あー まさになあ。正鵠を射るって感じです。妙に納得しちゃいます。

出典:YouTube カルミナ・ブラーナ「おお、運命の女神よ」【ラテン語・日本語歌詞付】santa

オルフ:世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」【ディスク情報】

1960年 ケーゲル ライプツィヒ放送交響楽団 BERLIN 
1967年 ヨッフム ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団 G
1974年 プレヴィン ロンドン交響楽団 EMI
1975年 マイケル・ティルソン・トーマス クリーヴランド管弦楽団 DUTTON
1976年 ドラティ ロイヤル・フィル De
1979年 ムーティ フィルハーモニア管弦楽団 EMI
1980年 ロバート・ショウ アトランタ交響楽団 TELARC
1983年 シャイー ベルリン放送交響楽団 Dec
1984年 ギュンター・ヴァント 北ドイツ放送交響楽団 PROFIL
1984年 レヴァイン シカゴ交響楽団 G
1986年 リチャード・ヒコックス ロンドン交響楽団 ALTO
1988年 小澤征爾 ベルリン・フィル Ph
1989年 フランツ・ウェルザー=メスト ロンドン・フィル EMI
1990年 ブロムシュテット サンフランシスコ交響楽団 Dec
1992年 ズービン・メータ ロンドン・フィル TELDEC
1993年 アンドレ・プレヴィン ウィーン・フィル G
1994年 ミシェル・プラッソン トゥールーズ・キャピトル管弦楽団 E
1996年 デュトワ モントリオール交響楽団 Dec
1998年 ティーレマン ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団 G
2004年 サイモン・ラトル ベルリン・フィル EMI
2010年 ダニエル・ハーディング バイエルン放送交響楽団 G
2012年 クリスチャン・ヤルヴィ MDR交響楽団 SC

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